暗闇に浮かぶ行燈の妖艶美  歌舞伎アートの復活を願う

日頃食材を求めてたくさんの買い物客や観光客が往来する近江町市場。




近江町には、金沢の住人も知らない凄いお宝があった。

江戸時代からこの市場に伝わる、市媛神社の秋の祭礼「大行燈祭り」というもの。
山車や獅子舞が出ない静かな祭りで、芸術作品が市場に展示されそれを見物、
町全体をアートホールにする、というものだった。
そのメインの芸術作品というのが、加賀藩お抱えの一流絵師による歌舞伎絵の大行燈なのである。
その最後の行燈絵を描いた島野春彰さんの貴重な作品を拝見しに、近江町へ行った。
歴博学芸員さんの解説付き。



圧巻!大迫力。

絵の題材は、はではで極彩色の歌舞伎の一場面。


紅葉狩。


パリで海老蔵が演じたのが思い出される。




おおう、封印切り!おなじみの名場面、チャリーン!聞こえてきそう。



梅川・忠兵衛は雪降りしきる中、死に場所を求めて、新口村へ。


忠臣蔵の場面も、て言うか実の事件の名前が書いてある。



討ち入りの場面は、忠臣蔵では11段目。見ごたえあり。



ところで金沢は能がさかんなわけで、小さい時に学校から能楽鑑賞に連れて行かれたくらい。
今日の話によるとそれは、武士の間でのこと、庶民は歌舞伎や浄瑠璃が大好きだったらしい。
古い資料を解説してくれたが、それがまた面白い。

「特に近江町の魚屋連中が、大阪の文楽から太夫を月給で抱え込み・・・、
 浄瑠璃の稽古にとても熱心になって、稼ぎを全部つぎこみ・・、魚を腐らしてばかり・・」と。


また、あの阿国の歌舞伎が登場する前、奈良の春日若宮で、
加賀国八才十一才の童、ヤヤコオドリ・・面白面白、各群集了」もしかして金沢が歌舞伎の発祥地?


また、文政期、金沢には1,800人が入れる「川上芝居」という歌舞伎小屋があった。
当時の芝居小屋ランキングでは、大関に江戸中村座、関脇江戸市村座、小結江戸森田座
前頭に、名古屋に次ぐ堂々の「加賀金沢川上」が格付けされていた、とか。
金沢出身の地役者、「加賀の團十郎」と言われた、嵐冠十郎などが大活躍したとか。

初めて聞く話ばかり、もう話が面白すぎ。




歌舞伎を見に行くことができない貧乏人は、灯りに揺らめく頭上の大行燈絵に、感動した!!に違いない。
ストーリーが走馬灯のように浮かぶんだろね、至極のひと時。

もうひとつの近江町の祭りの楽しみは、素人浄瑠璃のど自慢大会。
この市場でそんなことが繰り広げられたなんて、今は到底想像できない。



これは「清正虎退治」、歌舞伎ではないが、春彰最後の行燈絵。
これ以後、祭りも衰退していく。



こんな祭りが復活すればいいなああ。
美味しい魚が食べられて、三味線が聞けて、歌舞伎アートが見れて・・近江町最高だね!!!



ちなみにこんなのもあった、ていうか今はあんまり若い人歌舞伎知らないしね。
http://d.hatena.ne.jp/ruco8465/20100416#1271424990