歌われよ わしゃはやす

越中おわらの風の盆の季節がやってきた。

おわらの思い出は数多くある。亡き父が富山県生まれなので、おわらにはとても親しみがある。
歌好きだった父はしょっちゅうおわらを歌っていた、いわゆるオハコだった。
私が小さかった時に、父母に連れられて、八尾の長い長い坂を歩くのがいやでずっと泣いていたという思い出がある。

その後大人になってからは、何度か足を運んだ。はまって3年連続いったかも。でももういかない。
理由は、観光客が多すぎる。2万の人口の八尾町に40万超の人が全国からやってくる。
情緒も、風情もあったものじゃない。
「おい見えねーぞ」「どこで街ながしやっているんだ」。嫌がる子供の踊り手にフラッシュの嵐。
ひどい場合は、踊り手と観光客と口げんか。客同士で怒号が飛び交う。
本来の街ながしは、その年に亡くなられた家族の家の前で、その方の霊を祀るために踊りを奉納する。
観光客はその場に静かに居合わせるということを忘れてはならない。それほど昔は混んでなかったのにな。


父が寝たきりになっていたころ、この季節になるとおわらのCDを部屋で流してあげていた。
ある時父のお姉さんが富山からお見舞いに来た時、ベッドの周りをおわらの調子にに合わせて踊っていたらしい。
とても楽しいひと時だったに違いない。後で母に聞いて、その光景を想像し、涙でくちゃくちゃになった。


よく八尾に行っていた頃は、夜の9時に金沢を出発して、観光客が消えうせた頃を見計らって、八尾の坂をかけ上る。

すず虫の音と、三味線と胡弓の幻想的な世界が待っている。

踊り手もリラックスして、疲れてはいるものの、心底エンジョイしているかのように踊る。
八尾の醍醐味は、観光客がいなくなってから、エへへ。


やっぱ行きたくなってきた。