小立野界隈を歩く

昨日妻R子を、B大に送り、お昼まで、小立野周辺を散策した。

K大の病院の前の通り、老舗が連なる石引商店街を歩いてみた。
金沢の酒蔵の代表格、「福光屋」。とてもおしゃれな店構え。

時代は、ノンのアルコール、日本酒ばなれ。化粧品、酒粕のアイス、いろんなお土産グッズがあった。
今晩のつまみに、干しほたるいかをゲット。

私の好きな、加賀鳶。3年近く熟成した古酒、写真だけでも撮らせて、と店員さんに懇願。


次のお店は、加賀水引で有名な「津田」さん。水引は、結納等の金沢の冠婚葬祭に、花を添える。
派手だけど、とても落ち着きがあり、品がある、とても金沢らしいもの。
写真とってもいいですか?ご主人、ノン、最近はブログですぐ写真のる、結び方とか真似される。(アチャー、冷や汗)。

この通りに平行に辰巳用水が流れている。それを挟んだ向かい側に建つ、「金沢くらしの美術館」。
明治に金沢第二中学校の校舎であり、今の紫錦台中学校となり、つい2.3年前に博物館になったらしい。



懐かしい電化製品や、写真が展示されていた。奥の展示室は、とてもたまげた。

私の父は、若いころ富山県に生まれ、兄弟が多いものであるから、外へでっち奉公に出された。
松任市の農家のFさんの所で生活をすることになった。いわゆる育ての父、Fさんは戦前からお米の農家。
このFさん、何がすごいって、農作業の合間に絵を描いた。とてもハイカラな人だった。
父が成人になって、結婚して、私が生まれた。
私が小さいころよく遊びに行ったが、大きい農家にじいちゃんばあちゃんたちが、「よう来た、よう来た」と招き入れくれた。
昔はそう有名じゃなかったが、農民画家ゴッホ?に匹敵すると私は小さい頃から思っていた。

そのFさんの絵がたくさん、「戦前の農作業」の展示スぺースに、再現された農器具とともに飾られていた。
父、Fさん、Fさんの息子さん、みんな死んじゃった。いい思い出だけが残った。

わが家にも絵や画集、年賀状もたくさんあるが、ネット上にもあった。
http://natsukashi.hp.infoseek.co.jp/syokin-sen/syokinsen06.html

妻R子のおごりで、いつも話には聞いていたお蕎麦屋さんに行った。

「天徳院」の真横にある、「小立庵」。
天徳院は加賀藩主前田利常が24歳で亡くなった正室珠姫の菩提を弔うために創建された寺。


庵蕎麦の御膳を注文。天ぷらもおいしいが、加賀野菜の煮物にも感激した。

そんなところにやってきたのが、お知り合いのMさん。昔の同級生を引き連れて、お昼を食べに来た。
富山県出身ということで八尾の話で盛り上がった。

「風の盆は、夜明けがいいんだよね、坂の街八尾は、川からガスが上がってくる、
 踊り手のいない楽団が向こうか ら やってくる。
 ガスで下半身が見えないだよね。そりゃもうあんた、胡弓の音がたまらんちゃ。」  富山弁でまくしあげた。


「小立庵」
http://www.syouryuan.com/