直売所 その2 ほがらか村

マイフェイバリットの直売所、ほがらか村。1月10日からの営業。
なぜ、ほがらか村にわざわざ野菜を買うのにやってくるのか、を考察したい。
野菜や総菜などが売っているが、決して品揃えがいいわけじゃない。寒い冬は、野菜が足りないくらいだ。
それでも、何でも揃っているスーパーの前を通り過ぎて、直売所にハンティングに来る。来てもお目当ての野菜が平台に並んでいない時もある。どうして怒らないの?


私の父親世代の農家は、スーパー用の野菜を作って、JAに収めたり、市場に出荷した。
そのスーパー野菜の特徴は、一に見た目がいいこと、二に日持ちがいいこと、三に効率がよく、よくとれる。

足しげく通う直売所のお客さんたちは、そのスーパー野菜を否定したというか、最初から望んでいなかったのか。全く流通システムの陰謀だった。
野菜は鮮度が一番。魚の如し。かっこは関係なかった。誰の責任だ。
やはり女性客が多い。どうせお金を払うなら、作った人にあげてほしい。と、R子はのたもう。腰を曲げているおじいさん、おばあさんの野菜を目にすると、感謝をこめて、買わせていただくという。またその大根を目にすると、おじいさんの顔が浮かぶって。支払うお金でさえもそのおじいさんに払っていると確認する。
商品じゃない、心なんだと。
でもストーリーもいいが、ほがらか村の野菜を一度買うと、スーパーの野菜なんか買えない。スーパーの野菜は、一,二日流通に要しているからね。
自ずと、グルメなお客さんは、舌がこえているから、1度食べたらヤミツキになるのは、当り前な話だ。

それでは本題、直売所へ持ち込んで、直接販売する農家のメリットは。
スーパー用の野菜を作りつづけた父親世代の農業は、作り専門。まるでDH。(私の高校の後輩にあたる、昨年までのHIDEKI)JAに収めて仕事終わり、ごくろうさんだった。完全に売るという行為が分離していた。しかし作るという行為に対しては、プロ。化学肥料や、農薬を駆使し、虫食いのない、芸術作品を作るテクニックはすごかった。
でもその芸術作品が、NO!と、否定される世の中になってきた。
でも直売所に卸す農家は、マイナーな農家がほとんどだ。私などもその部類だ。私のマイナーな有機野菜。

夫がガンで、奇跡の回復を信じて、私のやさいを買ってくれる、奥様。
「あんたの野菜だけを買いにきたんや」というオーガニックフェチのだんな様。
「いつも買ってます」と、頭を下げられたお腹の大きい若いおかあさん。
他に、私の知らないお客さんに、私の作った有機野菜がお役にたっているのだとおもうと、何か、つながっているあたたかいものを感じます。本当の温かいコミュニケーションというか。

直売所には、ただ値段が安いからとか、鮮度がいいとかだけじゃなしに、今の忙しい私たちが見失った大切なもの、温かいもの、祭りのような賑やかさ求めてやってくると思う。それに踊らされて農家は、毎日汗をかいているのだが。

精神論はいいとして、やはり売れなきゃ面白くない。定番の野菜も大切、それプラス珍しものを作る楽しみ、売れる楽しみ。年寄りの方にとっては、売れた喜びは、何よりも元気になる薬かもしれない。お客さんとの会話のやりとりもたのしそう。なによりだ。私の老後が目に浮かぶ。
なにはともあれ、ほがらか村のお客さんが、ほがらか村の農家を経済的にも、精神的にも支えてくれていることは間違いないことだといえる。厳しいお客さんたちが商品である野菜を育て、と同時に我々農家をも育ててくれる。しいては、瑞穂の国、日本の農業を育ててくれると信じている。完